労働運動が見えない

いつもの散歩道でまた女の人に声をかけられた。今回は80歳を過ぎたであろうおばあさん。「コーナンはどこですか」と。息子に買い物を頼まれたと言う。説明しても解りにくいと思い、少々散歩道が遠回りにはなるが店まで案内することにした。以前にもバギーを押したおばあさんに「息子に言われてビールを買いに行く。この近くに酒屋はある?」と聞かれた事がある。80歳を過ぎた人の息子と言えば多分50歳を超えているだろう。どういう親子関係だろうと気になってしまう。普通なら50歳も過ぎていれば買い物を頼むのは奥さんか子供さんだろうと。それを普通と考える事が今の時代、間違っているかも知れないが息子さんは引きこもっているのだろうか。そんな事をつい考えてしまう。
今回はその事を書きたくてパソコンに向かったわけではない。これからが本題だ。今年の春闘「近年にない高額の賃上げになった」と政府やマスコミは騒いでいる。しかし率にすれば4%にも満たない。賃上げがあったところで物価上昇を差し引いた可処分所得でみれば物価上昇に追いついていない。つまり生活水準は下がっているのだ。何が「春闘だ」僕は鼻で笑ってしまう。と同時に腹立たしい。「春闘」と言ってもごくごく一部の人たち以外は「闘っていない」まして政府が経営者に対して「賃上げをしてあげて下さい」と頼む。そんな光景を見ると何と情けない事かと思う。もし寅さんが生きていれば「労働者諸君!これでいいのか!」激を飛ばしているに違いない。
僕は30年以上、労働組合で春闘を実践してきた。本当に春の闘いだった。正月が明ければ資料を作成し学習会をやり春闘の準備にかかった。組合員の要求を聞きながら「要求書」を作り経営側に提出する。回答が示されても「一発OK」の回答など出ない。連日のように経営側と交渉。それも毎回2時間にも及ぶ交渉をする。そしてその内容を議事録に起こし組合員に配布する。毎日「日刊紙」で発行する。当然「ストライキ」も毎年のようにやった。とにかく「目に見える労働組合」を意識し実践してきた。それが5月の連休明けまで続く事もしばしばだった。春闘が終わればすぐ夏の一時金(ボーナス)の闘いへと続いた。
今、労働組合が見えない。労働運動が見えない。見えるのは「連合」が野党共闘を非難し野党共闘をつぶしにかかっている無様(ぶざま)な姿だけだ。でもいつか春になれば芽をだす植物のように労働組合運動も再び芽吹く時代が来ることを信じてやまない。

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