涙の”似島”
八月になると思い出す歌がある、”似島”(源田えり作詞/大西進作曲)。1975年日うた京都祭典ではハミングに載せてこんな語りから始まった。「似島は安芸の小富士とも呼ばれ、広島の宇品の港から船で20分、富士山によく似た緑の島です。30年前の8月6日、栄養失調のひどい子供たちに少しでも栄養をつけてあげたいと夏休みの一日をさき先生たちは一生懸命給食作りをしていました。児童たちがしばらくぶりで会える友達や先生のことを考えながら集まった8時15分。一瞬にして残ったのはボロボロの服だか皮膚だかわからない子供たちと先生でした。焼け野原の広島に治療する場所もないまま船という船がかき集められて、似島へと運ばれました。その似島の体育館に魚みたいに並べられた児童たちは今日はお母さんが来てくれるか、明日はお父さんが迎えに来てくれて一緒に帰れるんだと思いながら命を消していきました。8月6日のその日は一人ひとり遺体を焼くこともできたのですが、あまりのおびただしい数に次の日からはキャンプファイヤーの薪を積むみたいに、木を積んで児童の遺体を積んで、その煙が9月の末まで絶えなかった・・・。それが似島です。」それに「似島は緑の島、明るい太陽の島~」とメロディが続いていく。聴いている途中から涙が止まらなかった。うたごえの曲でこれほど感動したのは初めてだった。
その後、2度似島を訪れた。小学校の校庭に青地に白いペンキで「青い海、青い空、僕らの島、にのしま」とあったのが印象的だった。歌詞には「決して許しはしないだろう。30年前のその姿を」とある。この歌ができてからもう49年。決して忘れてはいけない広島のこと、そして似島のこと。
テナー M.O.